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きっかけは堺沖でオスマン海賊A@大安宅に台湾船で挑み、敢えなく拿捕されたこと。重量砲撃に換装して初の対ガレー戦だったのだが、思った以上に足が止まらない。潮が悪かったのか、それとも相手の漕船が高いのか。それとも改良フルリグ3搭載のため出足が悪かったためか。割と簡単に接近を許してしまったことがどうにも腑に落ちないでいるのだが、まあそれはもう済んだ話である。

堺沖にどんどん海賊が集まり、5隻からなる海賊艦隊が編成された。対するこちらは急造のイング軍人2隻艦隊。残念ながら抗しえず、さらに3度ほどの敗北を積み重ねることとなってしまった。

東南アジア、東アジアとも安全表示にはなっていたが、どんどん被害が増える東アジアの状況を見過ごせばアジア方面一帯の安全化リンクが成立しなくなるかもしれない。・・・急遽友人達の集まる茶室にて援軍要請を行う決意をしたのである。

長崎沖まで満身創痍の状態で撤退。やってきてくれたのは、かつてイングランド精鋭と呼ばれた『黄金の鹿』のメンバー2名とその友人のポルトガル人1名。数の上では互角に立った。洋上戦における練度ではこちらが有利のはず、しかし敵には投げ縄の使い手が3人いた。洋上戦で勝負を決めるか、甲板戦に持ち込まれて敗北するか。互いの弱みを攻める展開になるであろうことは予想された。

さて、どう戦うべきか。・・・続きは次回に。
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